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4.第1章:召命(ピアノレッスン) [ L.Magiera著:RR]

父チェーザレは、ルッジェーロに歌の才能があるのではないかと期待します。相談したいと思っていた、指揮者のモリナーリ・プラデッリが、偶然店にやって来ます。しかも、家の鍵がないのでホテルに泊まるという話を聞き、咄嗟に、靴の見本市が開催されているから、ホテルは満室だ・・とうそをついたのです。

 「もし私の招待を受けて下さるのでしたら、あなたが手荷物を取り戻すまで、快適な設備の整った来客用の部屋を提供することが出来ます。」
 「ご親切にありがとう、シニョーレ。ご家族のみなさんにご迷惑ではないかと心配ですが....」
 「迷惑どころか家族一同大歓迎です。私達の時代で最も有名な指揮者の方を拙宅にお迎えできることは、とても名誉なことです。」チェーザレはドーラの当惑した視線にもおかまいにしに丁寧にへりくだって答えた。

 ボーロニャ大空襲で亡くなった彼の気の毒な親友アヴァンツィーニは、芸術家というものがどんなに心にもないお世辞を言うことに敏感で傷つきやすいかを彼に説明していたし、チェーザレは、モリナーリ・プラデッリのナルシスト的な性格が有名なことを知っていたので、彼を喜ばせる様な表現を強調しながら彼のプライドをくすぐる量を増やした。「その上、トスカニーニ以降、私達はあなたに匹敵する指揮者を得られないということを私は信じています......」

 モリナーリ・プラデッリは、家の鍵もないしホテルもとれないのでは、どうしようもないので、ライモンディ家の世話になることにした。彼は三日間、国王のようなもてなしを受けたし、あのチェーザレは、本当に親切で感じが良くて愉快だった。最後の夕方、彼に幼い子供の歌を聴かせた。マエストロは普通ではない本当に天分に恵まれた声だと思った。しかし、チェーザレは、息子にすぐに声楽の勉強をさせることはあきらめなければならなかった。つまり、この年齢で性急に声楽の勉強をすると、またたく間に彼の声を台無しにしてしまうということだった。音楽の基礎的な勉強をさせるために、ここでもっとも信頼できる音楽家のエンゾ・サルティ先生のもとで、ピアノを勉強させるようにマエストロに勧められた。チェーザレは賢明な助言にほんのちょっと失望を感じたように見えた。
 「幼い子供がこんなふうに《オテロのクレド》を歌うのを今まで一度も聞いたことがないのは確かだな。」とマエストロは、ベッドで眠る前につぶやいた。

 サルティ先生は、数日後にライモンディ家にやって来た。無愛想で、がりがりに痩せて、無口で、最初から幼い子供にとって、親しみを感じなかったし楽しくなかった。それは、ルッジェーロが想像したり期待していたように、すぐにピアノの鍵盤をさわらせなかったことも理由の一つだった。机に座らせてソルフェージュの厳しい規則を説明を始めた。
 「次はピアノでしょ」ルッジェーロは希望に胸をふくらませて言った。
 しかし、ソルフェージュのレッスンはいつまでも終わりそうにはなかった。生徒は、我慢できなくなって、数週間後に、もはやあの拷問のようなソルフェージュのレッスンに服従するつもりはないことを父に告げた。

 チェーザレは、心配になって、特別なケースとして、ちょっと強情で扱いにくい子供達を教えるには、ソルフェージュばかりでなく、すぐにでもなにかやさしい曲をはじめることが必要ではないかということを先生に話した。
 「しかし、この子は、とても音楽的であるのに、まじめに勉強しないのは残念ですね。」とサルティは言った。
 「マエストロ、あなたがおっしゃることはごもっともですが、息子が音楽から離れないようにそこをなんとか。」とチェーザレは懇願した。
 頑固なマエストロが譲歩したので、ルッジェーロは、次のレッスンでついにピアノの鍵盤の上に手を置くことが出来た。

 演奏することに成功した最初の曲は、ハ長調の短いワルツ《Bionda Sirena》だった。《Le petit montagnard 》《美しき青きドナウ》というような昔から小さなピアニストのレパートリーの定番である曲を続けた。
 数年後、少年が、モーツァルトのハ長調ソナタにはじめて取り組んだ時、チェーザレは、友人の家族の前で、息子を自慢して見せびらかしたいという誘惑にかられた。
 観客の前での演奏は、たとえ観客が限られた少数の人達であっても、演奏者にいつも相当の感情的緊張をもたらすものだ。そこで、新米ソリストのためにリハーサルをすることにした。
 ルッジェーロの反応は、リハーサル・・・といってもとてもりっぱな・・・を歓迎している様子の愛想笑い、気取った賛辞と拍手の前で、相当に不愉快で困惑した様子だった。
 そして、夕方に父が繰り返して行うことを望んだ時、ルッジェーロは、"enfant prodige(神童)"のように登場して最初に大声で叫んだ。不意のことであっけにとられた両親の前で、この瞬間に彼のピアノのキャリアが終ったことを宣言した。

 チェーザレにとって、冷酷でつらい出来事だった。彼は息子の歌うことの天分をほとんど忘れていた・・・モリナーリ・プラデッリが、可能な時期が来るまで声を休ませるように勧めたのだが・・・アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのような偉大なピアノ独奏者になることを夢見ていた。ミケランジェリは、ここ数年しばしばボローニャを訪れていたし、光栄なことに、すばらしいと評判のカシミアのセーターの一揃いを買うために彼の店を訪れたこともあった。

 あらゆる方法で、息子の気持ちを変えさせようとしたが、無駄だった。ピアノを止めたルッジェーロは、再びとてもよく歌うようになった。そして父はちょっと元気を取り戻してそれを聞いた。
 「しかし、歌い過ぎないように注意しなさい。モリナーリ・プラデッリは、声変りするまで注意が必要だと言ってましたよ。」と度々繰り返した。
 それでもルッジェーロは、助言を無視した。自分自身の声を聴くこと、特に、他の人に自分の声を聴かせることは、彼に特別な喜び、ピアニストとして試すことは決して成功しなかった演奏の喜びを与えた。

 中学校が始まって、クラスの仲間達は、彼の歌の天分にすぐに気が付いた。小さな並外れた人物として彼を尊重して、レクリエーションや学校の行事で度々歌って欲しいと頼んだ。

 歌手というものを幼少期から特徴づける「違い」、この「違い」は、常に大勢に注目されたいというちょっと子供っぽい願望を相当程度に持ち続けることが、心理的に出来なくなるのが原因で、大概は成長すると消えてしまうのだが、ライモンディの場合は、この「違い」が、その特有の大きな才能に非常に懐疑的だったにもかかわらず、早くから極めて素朴な形で保たれた。すなわち、この「違い」こそが、キャリアの軌跡を通じて終始、非常に好ましい形で、彼を目立たせている特徴なのだ。   ー第1章終わりーLeone Magiera著"RUGGERO RAIMONDI"

※モリナーリ・プラデッリ:Molinari-Pradelli Francesco:指揮者 (1911 - 1996)
※アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ:Arturo Benedetti Michelangeli (1920-1995)ピアニスト


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Sardanapalus

写真のパパ、かっこいいですね!
>彼のプライドをくすぐる量を増やした
この辺は商売をやっているから得意でしょう(笑)

>すぐにピアノの鍵盤をさわらせなかった
これは小さい子供にとってつまらないですよね~。大体、ピアニストになりたいなんて思っていない子供に音楽学校のような教育をするのは無理があるんじゃないかと思います(^_^;)パパが途中で間違いに気付いてくれてよかった。
by Sardanapalus (2005-10-31 19:07) 

euridice

以前にもちょっとコメントしたと思いますが、ピアノレッスン関連と、そのオペラへの関わり方のP.ホフマンとの類似性など、興味深いところです。P.ホフマンの音楽との出会いについて、TBしましたので、よろしく^^!
by euridice (2005-11-01 00:11) 

にぃにぃ

お久しぶりです。
大変貴重なRRのエピソードをいつも楽しく拝見しています。
以前、”ピアノが嫌いですぐやめちゃった”と聞いていたのですが、ピアノ自体が嫌なんじゃなくて、練習方法が性に合わなかったんですね。(RRこんなの多いなぁ…(^^;)

>この子は、とても音楽的である…
そりゃあ、イヤーゴのクレドを6歳で歌う子ですから!(歌ったという事実もですが、この歌を選択したセンスに驚きます。15歳だとしても、ちょっと日本人の同い年の男の子では考えられない感性(*_*)

>>写真のパパ
かっこいいですよね~!RRは、お父さん似なんですね。
RRは舞台を降りると大学教授みたいですが、お父さんは一昔前の渋いハリウッドスターみたいですね!
by にぃにぃ (2005-11-01 00:38) 

keyaki

Sardanapalusさん、いつも読んで下さって嬉しいです。
お父さん俳優並みですよね。
息子はホワイトタイ、父はブラックタイのツーショットがありますが、迫力ありますよ。
私、ホワイタイのライモンディの映像を見たとき、すごく仕立てのいいのを着てるなと思ったんですよ。こういうのは衣裳じゃないので自前ですよね。やっぱり、商売柄仕立てのいいものを着てますね。

お父さんの機転をきかせたウソで、プラデッリともその後、ずーっと親しくつきあってるんですものね。
まあ、子供は親の思い通りには、いきませんね。その後は、本人の好きな様にさせて、本人の希望で16才でヴェルディ音楽院のオーディションを受けて、1番で受かって、その時から、何があっても息子をサポートしようって決心したんだそうですヨ。

サンタチェチリアで、すでにピアノは勉強したからという理由でピアノの授業を拒否してますけど、この時に、ピアノのキャリアが終わったことを宣言したからなのね。(笑
まあ、歌手さんは、発声練習でピアノを使うくらいですものね。
by keyaki (2005-11-01 00:55) 

keyaki

euridiceさん、早速拝見しました。
確かに類似点がいろいろありますね。
自分の国の言語のオペラを持っている国の出身ということも多いに関係あると思います。
by keyaki (2005-11-01 01:03) 

keyaki

にぃにぃさん、
でもやっぱり、ピアノは嫌いだったんじゃないかしら。
ちょっとお父さんが気の毒、子供って残酷ですよね。

>RRは、お父さん似なんですね。
お父さんも190センチもあるのね。イタリア人でも北の人は背が高いけど、それにしても立派な親子ですよね。
前髪の一部分が白いのがRRのトレードマークなんですけど、これは、お母さんとそっくりなんですって。アンケンブランドさんの本に書いてありました。
by keyaki (2005-11-01 01:41) 

にぃにぃ

そうですねぇ…(^_^;) ”すぐやめちゃった”割にはレパートリーが豊富だな~と思ったもので。日本だとバイエルの練習曲なんかから入るから、余計そう思うもかも知れません。
>前髪の一部分が白いのがRRのトレードマーク
部分的なアルビノなんですね。
それにしても、くるくる巻き毛のルッジェーロの君可愛いこと(^o^)
by にぃにぃ (2005-11-01 22:59) 

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