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RRのエピソード:オペラ歌手デビュー(21)一か八かのプロチダ [ L.Magiera著:RR]


10月17日の記事の続き。
1964年ルッジェーロ(23才)は、ローマ歌劇場で、インフルエンザにかかったロッシ=レメニの代役として出演することになりました。なんと大役プロチダです。1964年12月23日のことです。
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「シチリアの晩鐘」のプロチダは、愛国心に燃えたシチリア独立運動の志士で、亡命先からパレルモに帰ってくる。2幕の最初に登場。短い序曲の後、"O patoria"に続き有名なアリア"O tu Palermo"を歌う。1幕は出番がない。"O patoria"の最初の部分は無伴奏のためオケでごまかすことができないところがみそです。右のガヴァッツェーニ大先生の写真の下の音声ファイルをクリックするとその部分を試聴できますので、聴いて読んで頂くと状況がよくわかるかと思います。
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(私=レオーネ・マジエラ)
ところが、ルッジェーロは、腫れぼったくむくんだ顔と涙目で、ロッシ=レメニと全く同じ状態で劇場に現れたのです。
「そうなんです。しかし、ルッジェーロは、その状態を隠すことにしたのです。目だけ出して全身を暖かくくるんで、舞台に上る前は、誰とも話しをしないようにしたのです。ジェスチャーで話す神経質な歌手のように、例えば、フランコ・コ」
 「シッ、チェーザレ」と私は彼を止めた。「イネスがいる時は、名前を言わないようにしましょう」私達は教授控室で話していた。そして、愛想が良くて勤勉な用務員のイネスは、ボローニャ音楽院の実質上の「ぬし」で、好奇心のかたまりだった。
 「おお、そうですね。イネスは、すばらしい女性ですが、彼女の前では静かにそっと話しましょう。どこまで話しましたか? そうそう、フランコのように・・・」
 「舞台に上がる前は・・・」私は口を挟んだ。
 「2幕の幕が開くとルッジェーロが登場しました。古代の戦士のように颯爽として上品ですらりと背が高くそれは美しくて、私の息子だからそういうわけではありませんよ。」
 「ガヴァツェーニは、序曲を指揮しながら、二日前のロッシ=レメニのまったくひどい声に出くわしたのとは反対に、芸術的エクスタシーに満ちたあの《中央のド》を期待して、舞台の上の魅惑的で霊感に満ちたルッジェーロの顔を見ました。」
 「オー パートリア......」
 「正確に、ルッジェーロは、口を開けて、横隔膜を押し下げました。それから二日前にロッシ=レメニが出した貨車が軋むキーというようなあの音をまた出したのです。」
 「なんと、信じられない!」
 「そう、そう、残念なことに全くそうだったんです。ルッジェーロガヴァッツェーニの顔つきを見たでしょうね。彼は、信頼している友人に背後からナイフで刺されたれたような表情に変っていました。」
 「それで、観客は?」
 「一瞬騒めきましたが、初出演の若者に対して、残酷に振る舞うことはありませんでした。それにルッジェーロは、プロチダのように英雄として反発しました。並外れた気力で気管支炎を克服しようとしました。そう思いませんか?」
 「よかった、チェーザレ。それで、うまくいったのですか?」
 「はい、始めの混乱の後、彼の調子は尻上がりによくなって、上出来でした。続く幕を勝利に変えました。体調が悪いことを完全に乗り越えて、最高の力を発揮して歌うことができたのです。奇跡のようでした。」
 「それで、他の仕事のオファーはありましたか?」
 「はい、フェニーチェ座でストラヴィンスキーの《オイディプス王》のティレジアスと、三つのヴェルディのオペラ、《イエルザレム》のルッジェーロ、同じ名前で変な気分ですけど、それから、《ファルスタッフ》のピストーラ、《運命の力》のグアルディアーノ神父です。」
 「おっと、それは」私は、ちょっと心配になって言った。「最初の年の仕事の負担が多すぎないようにルッジェーロに言っておいて下さい。」
 「そうですねぇ、大丈夫でしょう。彼は、これらの4演目のデビューを充分に準備するためにオファーをたくさん断っていましたから、1965年には他のオペラは歌はないでしょう。」   ーLeone Magiera"Ruggero Raimondi"ー
(その後の活躍は、よく知られていますので、また子供時代に戻って読んでいこうかな、と思っています)


ついでの話し:ヘレナ・マテオプーロス著「ブラヴォー ディーヴァ」から
「実は私自身も気管支炎だったのですが、どうしてもこのチャンスを逃したくなかったので、病気を隠して舞台に立ちました」その公演にライモンディの父が公演に招待していたソプラノのマリア・キアラの夫が彼の才能に着目し、当時フェニーチェ座のインテンダントだったマリオ・ラブロカのオーディションを受けるように手配してくれた。ラブロカは即座に5年契約を申し出た。
《シチリアの晩鐘》ディスコグラフィー:
◇1970年 ガヴァッツェーニ指揮 スカラ座ライブ
◇1973年 ジェイムス・レヴァイン指揮 レコーディング
◇1978年 リッカルド・ムーティ指揮 フィレンツェ5月祭ライブ
《シチリアの晩鐘》主な公演:
◇1964年(ローマ)12月23日ロッシ・レメーニの代役で歌い、成功を収める。
◇1966年(ビルバオ)9月3日
◇1970年(ミラノ・スカラ座)12月7日ー開幕公演 ガヴァッツェーニ指揮
◇1974年(パリ・オペラ座)11月 サンティ指揮
◇1978年(フィレンツェ)フィレンツェ5月祭 ムーティ指揮
◇1979年(パリ・オペラ座)3月15日 サンティ指揮
◇1982年(メトロポリタン)3月-4月 レヴァイン指揮
◇2004年(チューリッヒ)5月  サンティ指揮
参考:
◇ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ:Gianandrea Gavazzeni 1909.07.25-1996.02.05 イタリア 指揮
◇ニコラ・ロッシ=レメニ: Nicola Rossi-Lemeni1920.11.06-1991.03.12 イタリア(バリトン)

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コメント 4

チェーザレパパの語り口、楽しいですね。
事件は起こったのですね!しかも最初の一声、なのに立ち直れたとは、さすがの大物ぶり!若い歌手を潰さなかった聴衆も素敵です。
それにしても、素敵な録音を聞かせてくださってありがとうございます。
by (2005-10-18 23:57) 

euridice

>立ち直れた
こうじゃなくちゃ、キャリアは築けない・・ってことでしょう。
某歌手^^+ によれば、「気管の病気は、まさに気管支の粘膜が心身症的に引き起こす」そうで、RRのこの時の気管支炎も、これだったんじゃないかしら? 「ウィルス性の気管支炎にかかって、声帯が炎症をおこしたら、どんな歌手でも、舞台に立つことは、ほとんど無理か、絶対不可能だと思う」そうですから・・・
by euridice (2005-10-19 07:57) 

Sardanapalus

>貨車が軋むキーというようなあの音
正に指揮者にしてみれば、青天の霹靂!でもほんと、ここから立ち直っていくというところが、流石ですね。聴衆の暖かい反応も歌手の立ち直りを助けたのかも?お父さんの嬉しそうな語り口といい、素敵なデビュー・ストーリーですね。
by Sardanapalus (2005-10-19 19:01) 

keyaki

みなさん、コメントありがとう。
私も、この本を読むまでは、そんないきさつがあったなんて知りませんでした。
「ロッシ=レメニの代役で、成功を収める」程度しか書いてないですからね。

>貨車が軋むキーというようなあの音
実際には、どんな声が出るんでしょうね。声楽をやっている方ならわかるんでしょうね。

>心身症的
それもあるでしょうね。はじめての大役ですものね。
リハーサルでも、見て勉強するだけで、実際には一度も舞台で練習してないんですよね。よくやるわぁと思いますね。
by keyaki (2005-10-20 22:15) 

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