SSブログ

RRのエピソード:声楽授業(19)ボローニャ音楽院-8- [ L.Magiera著:RR]

★質問! フランチェスコの愛称? 別名? はケッコ"Checco"ですか?  まじめな質問ですのでヨロシク

9月15日の記事の続き。
1964年ボローニャ音楽院での勉強も3年目となる。ルッジェーロ(22才)は、音楽院の発表会でドン・ジョヴァンニのセレナータ" De vieni alla finestra "グノーのファウストの"Tu che fai l'addormentata"を歌うことになります。

(私=レオーネ・マジエラ)
ついにオーケストラリハーサルの日がやって来た。
すでに、音楽院のレベルで、器楽奏者と歌手の間の奇妙な壁が存在した。前者は、後者が音楽に関して無知であると確信していた。

 器楽奏者は、歌手は音楽的に無知、つまり、厳しく進まなければならない一連の基礎的な勉強をおろそかにしているし、調子外れで、正しいリズムを保つ能力がないとか、その上、天文学的なギャラと、彼等の実際の価値に全く不釣り合いな尊敬を受けるという特権を持っていると思い込んでいる。
 歌手達は、このような少なからず辛辣で皮肉な攻撃をする器楽奏者に対して、歌によって、その思い込みを払拭する他はない。

 歌手に言わせれば、器楽奏者は、歌手のように覚える必要がないので、実際に演奏しないで、考えられないような大量の音符を貯め込んでいる。しかも歌手達の切実な問題、つまり、風邪、悪寒、喉の痛み等々の影響がないという特権もあると反論する。
 その上、器楽奏者は、ともかく80才まででも演奏することができるが、一方歌手はと言えば、多くのリスク(声帯の消耗、胸膜炎といろいろな事故)にさらされ、また、非常に短くて不運なキャリアで終わる可能性もあると主張する。

 明らかに、ばかげてくだらない論争であるが、しかし、長い間、このような考えは定着し、今日我々の間でも存続している。
 それゆえ、オーケストラは、"Tu che fai l'addormentata"(ルッジェーロはイタリア語で歌った、当時は、まだそれが普通であった)の簡単な導入部を弾いたが、コムナーレのオーケストラの団員の演奏は集中力に欠け満足のいくものではなかった。
 オーケストラは、リディア・プロイエッティの生徒で、最も実力のある若くて美しいソリストのブルーナ・ブルーノと共に、ピアノとオーケストラのためのフランクの"変奏交響曲"のリハーサルをやっと終えたところだった。そして、今、オペラのアリアの伴奏は、彼等にとっては、たいして興奮させられるものではないし適当にやればいいことであった。
 そのため、指揮者のロサーダは、導入部の短い"ルバート"を達成するために、ヴェネト地方の方言で様々な悪態をつくはめになった。

 ところが、ルッジェーロが口を開けたその時、雰囲気が一変した。私は、何度もこういう経験しているが、特別な声が、人の精神を変化させることができる魅力的な力を持っていることに、またしても吃驚させられた。
 彼は、底意地の悪いオーケストラの団員に、特別で何とも言い表せない印象を与えていたようだった。すでに完全に成熟した芸術家のためにするように、彼等は、できる限りより良い伴奏をしようとしていることを私は数小節の演奏で悟った。
 そして、曲の終わりに、オーケストラは、全員一致でソリストを称賛したのである。つまり、譜面台を弓で叩くカチャカチャカチャという音が長い間続いた。
 ドン・ジョヴァンニのセレナータも、声はまだ充分に暖まっていなかったが、同様に歓迎された。残念ながら、ロサーダの不安の通り、弦を引っ掻いているだけというマンドリン奏者に対する不満足はあったもののルッジェーロの声はすばらしかった。

 そのまま引き続いて夕方にはコンサートだった。ビッビエーナの魅惑的なホールは、予想よりもいっぱいになっていた。私達は、舞台の前部の桟敷に席を確保して、数分後に、リディア・プロイエッティの後任で、数日のうちに音楽院の学長として赴任するアドーナ・ゼッキを迎えた。
 「私の元生徒の不安を分かち合うために来ました」とアドーナ・ゼッキは口を開いた。
 「しかし、リディアは私に言いましたよ。あなたの生徒のライモンディは、とても上手く歌います。ですから、心配することはないと....」
 ゼッキは、私の作曲法の教師だったが、私がかなり緊張していたことに気づいて、彼は、気を紛らわすように雑談を続けた。私は、そのことをありがたく思った。
 「しかし、見て下さい、私達の発表会になんて大勢の人達が!」と興奮して続けた。そこには、ボローニャの多くの名士が来ていた。
 「ご覧なさい。モリナーリ・プラデッリも来ているではないですか。私達のケッコ! なんと名誉な!」とゼッキは驚いていた。
 「ライモンディ家の友人なんです。来ないはずはないです。」と、ゼッキに説明した。
 また、正規の資格を持つたくさんの教師達が、座席を埋めていたが、その中でもジャコモ・マンゾーニ、オルガン奏者のIreneo Fuser、ピアニストのチェーザレ・ブランディ..は、すぐに分かった。

 そうしている間に、照明が落とされ、ロサーダが指揮台に上った。
 まず初めのプログラムは、フランクの「変奏交響曲」、それから2つの声楽曲だった。ブルーナ・ブルーノは、素晴らしい演奏をして、大歓迎を受けた。
 ルッジェーロは、盛大な拍手で舞台に迎えられた。しかし、歌い終わった彼を称賛するだけではすまなかった。みんなは、感激して立ち上がって、アンコールを大声で叫んだ。音楽院の厳格なしきたりで、もちろん認められるはずはなかった。
 拍手喝采して、オーケストラボックスの手摺のあたりに詰めかけた観客の中に、ルッジェーロの父チェーザレもいたが、アンコールの拍手をしても無駄だとわかって苛立って、私を非難しているように見えた。そして、私はホールの奥にいるドーラ夫人を見つけたが、彼女は静かに息子の成功を喜んでいた。  ー続くーLeone Magiera"Ruggero Raimondi"  
ルチアーノ・ロサーダ:Luciano Rosada 1923.02.19- 指揮者
アドーネ・ゼッキ:Adone Zecchi 1904.07.23-1980 作曲家、指揮者
フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ:(Molinari-Pradelli, Francesco1911.07.04-1996.08.07)指揮者


nice!(0)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 6

Bowles

某所に
Francesco, Checco per gli amici,
あるいは
Francesco, "Checco" come da molti familiarmente e
con confidenza veniva chiamato
とありますから、やはり愛称のようですね。ちなみに、Federico は
Chiccoなのだそうです。キッコ・ダ・モンテフェルトロなんていうと、
別人みたい!! 両方ともトスカーナ人に発音させてみたい名前ですね。
by Bowles (2005-10-15 10:16) 

TARO

このHPの上から1/4ぐらいのところに、イタリア人が自分たちの愛称のことをインタビューで話してます。ケッコとキッコと呼ばれていて、上にBowlesさんがお書きになってるように、フランチェスコとフェデリコという人達らしいんですが。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/3605/monte/monte.html

ということで愛称でキマリと。
by TARO (2005-10-15 12:03) 

keyaki

Bowlesさん、TAROさん、ありがとうございます。
フランチェスコはフランチなんて言い方もあるようですね。
ちなみに、ルッジェーロは、ルッジらしいです。
こういうのは、わかりますけど、ケッコとキッコでは元の名前が想像できませんね。
日本で言えば、ひさ子→チャコのようなものかしら?
by keyaki (2005-10-16 01:46) 

euridice

器楽奏者と歌手の確執?! おもしろいですね。
器楽奏者から転向した歌手、
有名オペラ歌手の中にもけっこういるようですが、
逆は、寡聞にして知りませんが、どうでしょうか?
by euridice (2005-10-16 10:48) 

keyaki

euridiceさん
器楽奏者でもソリストはまたちょっと違いますでしょうけど、
下のオケピットから見れば、身一つで稼ぐ歌手がうらやましいので、かなりやっかみが入っているんでしょうね。
by keyaki (2005-10-17 01:25) 

euridice

歌手は、楽器買わなくていいから、せこいなんて思ってた人もいるらしい・・ 音楽随筆?みたいなのの著者がその著書の中で言ってました・・・

クイズ:
愛称、私が当分、もとの名が思い出せなくて困ったのが
ナッチョ ですが、さてその名前は?
(すぐわかるような気もします・・・ ええと、スペイン人です)
by euridice (2005-10-17 06:53) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。