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RRのエピソード:声楽授業(16)ボローニャ音楽院-5- [ L.Magiera著:RR]

9月4日の記事の続き。
1961年ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(26才)はルッジェーロ(19才)の声楽の教師となり、ある日彼の家に招待されます。

(私=レオーネ・マジエラ)

数ヶ月後、私は、ルッジェーロの家の正餐に招待され、それに応じた。私は、学生の波乱に富んだ過去に特別な兆しを感じたし、教育に関する彼の経歴の一部始終を知ることに関心があった。このことについては、この本の初めの部分に全部まとめて紹介した。

私は、ルッジェーロの父チェーザレに会った。彼はボローニャでは知らない人はいないと言われていて、その上、有名な画家ジョルジョ・モランディの友人でもあった。時々、モランディは、フォンダッツァ通りの彼のアトリエから、同じ通りの数ブロック離れた芸術のサークルLeoneXに、その友人が歌うオペラの一節を聴くために出かけた。
また、私達は、モリナーリ・プラデッリについても長々とおしゃべりした。オーケストラの指揮者として、私もよく知っていたし、称賛していた。チェーザレから、彼もまた、絵画のマニアであることを聞かされた。特に6-700年のエミーリア地方の美術の偉大なエキスパートだった。マエストロのコレクションは、友人達からは、長い間ばかにされていたが、それから、数年で素晴しい価値を獲得して、現在、世界の最も重要なものの一つとみなされている。

優雅で優しい婦人、ルッジェーロの母ドーラは、いつも息子の将来について、心を痛めていることを知った。彼女は私に、今回ルッジェーロが切望しているディプロマをここボローニャ音楽院で獲得することができるかどうかを少なくとも3回尋ねた。私は、毎回この質問をうまくごまかすために、慎重に話題を変えた。
彼女は私に、二人の息子達のことを、彼らもまたすばらしく頑丈な体格をしていること、そして、美しくて力強い声をしていたが、音楽に対して特に関心を示さなかったと話した。長男のラッファエッロは、父親の跡を継いだ。次男のロベルトは、最も評価の高い会計士になった。

私は、その他の芸術と音楽との拘わりの話題を続けながら、詩人エウジェニオ・モンターレの音楽的情熱について語った。彼は、最近、非常に謙虚な態度で、歌を聴くように私に頼んだ。彼は、充分に威厳を持って「セビリアの理髪師」"陰口はそよ風のように"を歌って、正当な評価と思われた賛辞に若者のように赤くなった。というような話しをした。

とても楽しい正餐の集まりで、それは、短い「コンサート」で締めくくられた。 私は、ピアノの演奏を要望されたので、ショパンのバラードを弾いた。その後、今度は私が、家の主人に何か歌ってくれるように丁重にお願いした。そして、チェーザレは、的確さと自信を持って、オテロクレドを披露した。

「コンサート」が終わってから、ルッジェーロと非凡な「声」の遺伝について議論しながら、私達は徒歩で音楽院に向かった。この事実の存在について、二人の意見が一致した。更にそれを裏づけるために、ルッジェーロは、彼の枢機卿の叔(伯)父もまた素晴しい声を持っていて、彼のみごとなバリトンの音色を聴くために大勢の信者達が御ミサに参列したことを私に話した。  ー続くー
ディプロマの話題がまたまた出てきました。サンタ・チェチリア音楽院に入学した時にお母さんに今度はディプロマを取るから、、、と約束したのに、、、ピアノと体育の授業をボイコットしてパァーになったんです。お母さんはまだあきらめていないんですね。

※ジョルジョ・モランディ:Giorgio Morandi(1890-1964 )
ボローニャ出身で終世ボローニャを離れなかったことでも有名。静物と風景を描きつづけた画家。
※Eugenio Montale (1896-1981)詩人 1975年ノーベル文学賞受賞
※モリナーリ・プラデッリ(1911.07.04-1996.08.07 )指揮者

参考)マジエラ氏が招待されたのは、お昼の食事です。ご存知のようにイタリアでは、お昼が正餐になります。
大学の授業も午前8時からお昼まで、それから午後の授業は午後4時から始まるというパターンが多いと思います。(今のことは知りませんが、、)


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コメント 2

euridice

>ディプロマ
安全策なんて・・ いらなかった・・は結果論かもしれないけど、安全策に腐心しているようでは、超一流の芸術家ではあり得ないかも・・ でもやっぱり、周囲、特に親はやっぱり子どもに少しでも安全な道を歩ませたいものですね。

例の伝記によれば、ドイツでも、日本で言う「教員免許」を取るように言われるものらしいです。P.ホフマンは、全然考えなかったということです。
by euridice (2005-09-10 08:10) 

keyaki

家が裕福だと、普通に楽な道を歩んで欲しいものでしょうし、万一歌手として芽がでない時は、ディプロマが役に立つということで、お母さんの気持ちもわかりますね。
本人は、ディプロマなんかどうでもいいと思っているのに、お母さんが、本人が望んでいる、、、という風に言っているのもわかりますね、その気持ち。

日本の音楽学校も必ず「教員免許」がとれるようなカリキュラムを組んでいるようですね。
ライモンディもP.ホフマン同様、「紙っきれなんかいらない」ということのようですが、まだ、先を読んでいないので、ディプロマがどうなるかわかりませんけどね。
by keyaki (2005-09-10 12:35) 

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