SSブログ

オペラの演出(ジョセフ・ロージー監督) [ボリス・ゴドノフ]

ジョセフ・ロージー監督は、ひょんなことから、『ボリス・ゴドノフ』の演出をやることになりました。前年の1979年の話題の映画「ドン・ジョヴァンニ」のコンビ、ロージー監督とR・ライモンディということで、いかにもロージー監督の演出が最初から決まっていたような感じを受けますが、実は、窮地に立った、インテンダントのリーバーマンを救うためにロージー監督が演出を引き受けたのです。オペラの演出は初挑戦でした。
この時のいきさつと公演の模様が書かれていますので、ご紹介します。

そもそもこの『ボリス』は御難つづきで、演出は初めソ連のリュビーモフに依頼。彼は昨年末まずアッバード指揮でラ・スカラ座開幕を飾り(原典版)、ついで小沢征爾指揮(ショスタコヴィッチ版)でパリに登場するはずであった。ところがラ・スカラ座公演を観たソ連当局者が、ロシア・レアリズムに相反する革新性に仰天してしまって、リュビーモフのパリ出国のヴィザを拒否し、彼の演出は不可能に陥ってしまった。
窮地に立たされたリーバーマンは、盟友ロージーに依頼、僅かな練習期間、限られた予算枠という悪条件にかかわらず承諾を得て練習に入った。ところが、今度は初日を一週間後に控えて、小澤が病気で倒れてしまった。大慌てで代行指揮者を探したものの、ショスタコヴィッチ版を振れる者はなかなかおらず、結局ソフィア国立歌劇場監督ルスライ・ライチェフに決まって、やっと幕を上げることが出来たという次第。(パリ・オペラ座 竹原正三著)

RRのインタビューより
Q:ロージーはパリ・オペラ座で、映画的なボリスを上演して、論争を巻き起こしました。聴衆との親密さを選択した演出でした。ロージーは「聴衆と俳優がかけはなれているのは好きではない、まるですべてがロングショットのようだ」と言いました。
ライモンディ:そうです。このボリス演出について、批評家は大きな誤解をしていると思います。音楽を演技者の後ろに置いて、音楽劇をつくるというコンセプトをだれも理解しませんでした。革命的なコンセプトでしたし、現在ピーター・セラーズのハーレムのドン・ジョヴァンニを受け入れるのと同じレベルで受け入れなければならなかったのです。しかし、当時はさらに保守的でした。ある批評家が自分は好きじゃないけど、息子は大好きだと言ったのを覚えています。最高におかしかったのは、聴衆は全くのびっくり仰天だったのが、聴衆からたったの1メートルかそこらのところにいたので、よくわかりました。まるで演劇のようでした。私にとってはすばらしい経験でした。というのは、この瞬間、非常な力強さを感じていたからです。聴衆が困惑しているのがわかりました、どこを見たらいいのかわからなかったのです。聴衆は音楽と演奏に完全に不意を打たれ驚愕していました。本当に完ぺきに面白いものと共にありながら、聴衆はわかっていませんでした。・・・・(インタビューより)

1980年パリ・オペラ座『ボリス・ゴドノフ』配役等詳細、LDの解説もリンク演出舞台衣裳の説明、ショスタコヴィチ版の説明、歌手の略歴もあり。


nice!(0)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 7

euridice

この映像、近代演劇って感じで好きです。

ぼんやりした記憶なんですけど、むかしNHKで何度か豪華絢爛って感じのオペラ舞台中継?みたいなのをやってるのをちらっと見たような気がするんですが、思うにボリショイ劇場の「ボリス・ゴドノフ」だったような気がします。で、なんとなくオペラってああいうものみたいに思ってました。
by euridice (2005-06-07 11:03) 

keyaki

音楽にあわせて、舞台の奥から、ボリス登場! ここ大好き、ライモンディじゃないと迫力不足になるでしょうね。
ブログで紹介した本に書いてありましたが、オーケストラが後ろに引っ込んでいるぶん、歌手や合唱の声の迫力が並じゃなかったそうですし、演技は迫真的だし、オーケストラの音も一度舞台のドームに反響して伝わるので、全部の音がひとつにまとまったそうです。
映像で見てもこれぞ歌手が主役の演劇的オペラですものね。

いいことだらけだと思いますが、「ボリス」ではオーケストラが主役と考える人達には受け入れがたいことだったそうですけど・・・よくわからんですね、私には。
オーケストラが主役の歴史的絵巻物のボリスは私にはつまらんです。
by keyaki (2005-06-07 21:09) 

にぃにぃ

またまたこちらにもお邪魔します。
>「ボリス」ではオーケストラが主役と考える人達には受け入れがたいことだったそうですけど・・・
そうそう、この公演の批判といえば「オケが聴こえない」というのが必ず。
なんででしょうね?歌手あってのオペラのはずなんですけど・・・
>豪華絢爛って感じのオペラ
80年当時でも、斬新なオペラの演出が随分出てきてたと思うんですが、なぜか「ボリス」だけはスラブ系の歌手で、オードソックスに!と決めているようですね。2,3年前レイミー主演で、スーツ姿のボリスっていう演出がありましたけど
それでもロージーのこの演出ほどインパクトはなかったと思います。
大時計の場面、ライモンディの演技はやっぱり真近で観てこそでしょう!
by にぃにぃ (2005-06-08 21:53) 

euridice

>大時計の場面
あの前後が大好きで、繰り返し観たものです。
どこをとってもオペラ的うそっぽさがないです。
by euridice (2005-06-09 10:33) 

あれ?あれ?ボリスってこんなにいい感じのオペラでしたっけ、私が前に見たのは演出がいけなかったのかなぁ・・・?一応は最後まで見たけど???だったのに、このビデオクリップにはいきなり惹きこまれました。
舞台前面まで出てきて演技して歌ってくれるなんて、そんな舞台を生でかぶりつきで見てみたいなぁ~~!いいもの見せてくださってありがとうございました~。
by (2005-06-10 21:48) 

きのけん

この《ボリス》は何度も見ました。

竹原さんは触れてないですが、ここには当初メシアンの《アシジの聖フランチェスコ》の世界初演が入るはづだったんです。ところが、メシアンの体調が思わしくなく作曲が完成しなかった。そこでスケジュールを空けておいた小澤征爾とメシアンに出るはづだった一連の歌手を使って別のオペラを…ということでこの《ボリス》が急遽組まれたというわけ。

それから、ジョゼフ・ロージーは映画監督になる前は舞台演出家で、ブレヒトの《ガリレイの生涯》のアメリカ初演を演出したのがロージーですね(英訳チャールズ・ロートン)。ロージーは若い頃ヨーロッパに滞在して当時の欧州演劇の最先端をつぶさに体験し、その時ブレヒトなどとも親交を結んでいます。またロシアではその演出家ユーリ・リュービモフ(当時タガンカ劇場というソ連唯一の実験劇場の総監督だった:ゴルバチェフの親戚なんで彼だけはソ連でも保護されていたんです)の師匠筋に当たるフセヴォロド・メイエルホリドなどとも接しており、管弦楽を舞台の上に載せた舞台装置はリュービモフの演出プランをそっくりそのままいただいたものすね(この舞台美術のジル・アイヨーは建築家です)。だから、これだけ演劇をよく知っている人の仕事が、よくあるような舞台経験皆無の映画監督が片手間にやったようないい加減な舞台演出とはその質を異にしているのは当然の話なんです。

ちょうどここ10年くらいロージーの関心が演劇に戻っていたようで、1970年代にゆかりの《ガリレイの生涯》を映画化しているし、ジェーン・フォンダ主演のイプセン《人形の家》があり《ドン・ジョヴァンニ》がそれに続くというわけ。この《ボリス》はその延長線上にあり、ここから彼は再び映画に戻って(《鱒》)、数年後に亡くなったというわけ。

…そう、このかぶりつきはド迫力です!というのも、これをそのまま模倣したワーグナー《指輪》の演出がアムステルダムにあるんです。僕はそっちをかぶりつきで見てる。オケを舞台の上に載せ、ピットをつぶして、歌手たちが目の前まで来る迫力ったらない!それに、歌手たちがオケの前に陣取るから、多少軽量級の人がワーグナーを歌っても、十分声が通るんだよね。

大変だったのは指揮者で、バランスが通常の上演とまったく異なるから、小澤征爾はリハーサルの時、しょっちゅう後ろを見なくてはならず、それで背骨を痛めて欠場してしまったんです。

この演出でロージーが何をやったかというと、オペラの舞台の空間性を俎上に載せてみたのですよ。つまり、オペラ劇場の空間構造というのは、それこそモンテヴェルディの時代からまったく変わっていない。客席があって、ピットを隔てて舞台があるという構造はまったく変りなかったわけで、そこに取っついてその空間を異化してみせたのがロージーの演出で、その意味で、当時の演劇部門によくあった試み、客席と舞台との相互関係を変えてみるという純粋に演劇的な試みと呼応するものだったわけで、ルッジェロ・ライモンディなんかだとイタリアでのルキノ・ヴィスコンティ(この人だって舞台演出家でもあります)に始まり、ジョルジョ・ストレーレルやルカ・ロンコーニに継承されていくこの種の試みをよく知っているわけですよ。1950年代既にヴィスコンティはフィレンツェのボボリ公園の丘の傾斜を使ってパーセルの《妖精の女王》を上演してるんです。

リュービモフはなにせ、当時欧州でも最先端を行くような演出家だったから、僕もスカラ座の《ボリス》を見てますが、このライモンディが凄かった!こちらでは主役ボリスでなくヴァルラムですが、例の宿屋の場面で、彼はフロリンド・アンドレオリのミサイルを肩車しつつ、舞台狭しと駆け回りながら歌うんです!…これがすごいのなんのって!こういうのはロシアの未来派演劇が創出した演技スタイルで「ビオ・メハニカ」というんですが、こういう演劇スタイルの代表格がリュービモフでした。ルート・ベルクハウスやハリー・クプファーとか、東独の演出家にはこのスタイルを身上とする人が多いですね。なにせ役者をめったやたら動かすから、フランクフルトでやったベルクハウスの《魔笛》の時、モナスタトスをやった超肥満漢ウィリアム・コークランがリハーサルで心臓発作を起こしたし、バイロイトのクプファー版《指輪》でもグレアム・クラークが心臓発作を起こしてますね。ライモンディという人が素晴らしいのは、こういう演技だって平気でできちゃう人だからだね。同じリュービモフがフィレンツェで演出した《リゴレット》ではジルダをブランコに乗せて歌わせたもんで、そのソプラノ…というのはエディタ・グルーベロヴァのことですが…が泣き出しちゃった(笑)。オペラ歌手というのは、たかだかその程度の演技だってできなかったりするんだよね。
きのけん
by きのけん (2005-07-16 09:23) 

keyaki

いろいろ面白い話ありがとうございます。
>ミサイルを肩車しつつ、舞台狭しと駆け回りながら歌うんです!
ええーー、凄い、このライブ録音がありますので、今度ブログの記事にさせていただきます。

また、ルッジェロのことでなにか思い出したら教えて下さい。
by keyaki (2005-07-16 14:41) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。