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Ah! ca ira, ca ira, ca ira! [オペラの話題]

「RRのめずらしい歌」に「サ・イラ! Ca Ira!」


エッフェル塔はフランス革命100年記念に、パリ・オペラ座(バスティーユ)は200年記念に建てられた。.....んですって!

「Ca Ira」はフランス革命に作られたシャンソンで、「Ah! ca ira, ca ira, ca ira!(嗚呼、いけるぞ、うまくいくさ)」という印象的なリフレインがある。国歌にならなかったのは歌詞の最後の行が「Les aristocrates on les pendra!」、つまり「貴族を絞首刑に!」と過激だからだ。フランスの民衆は「アァ、サ・イラ、サ・イラ……」と踊り狂って革命に参加したといわれている。

ああサ・イラ サ・イラ うまくいく
人民はこの日たえずくり返す
ああサ・イラ サ・イラ うまくいく
反乱者どもにかかわらず すべては うまくいく
とまどう敵は足踏みさ われらはうたおう 喜びの歌
              
                   (河出書房新社「図説フランス革命」より)
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フランス革命のうたで、有名なのが「Ah! ca ira, ca ira, ca ira! (嗚呼、いけるぞ、うまくいくさ)」。ca ira(サ・イラ)は、ca marchera, ca fonctionneraで、ラドレLadre作詞、ベクールBecourt 作曲だが、これも歌詞は激しい内容で、「les aristocrates a la lanterne」などと平気で歌う。アリストクラートは貴族階級。ランテルヌは街灯だが、高い街灯で「絞首刑」という意味。これが、国歌にはならなかったが、民衆は「アァ、サ・イラ、サ・イラ」と踊り狂いながら革命に参加したしたらしい。翻って幕末の日本では、今村昌平の映画にあるように「ええじゃないか」が西からお江戸まで押し寄せた。しかし、幕府の役人や諸侯を血祭りにあげるようなことはなかったようだ。民衆のフラストレイションの表れであっても、明確な思想がそこにはなかったからであろう。「ええじゃないか」を薩長が指導したとも考えられない。
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バスティーユ襲撃から1年後、1790年7月14日にシャン・ド・マルスで祝典が大々的に行なわれた。いまはエッフェル塔が建つこの広場が選ばれたのは、流血や暴動の場でなかったからだった。
 セーヌ右岸のシャンゼリゼとともに、左岸のこのあたりも市街化がまだ進んでいなかった。そこで、祝典=連盟祭の前に無数の市民達が動員され、会場となるシャン・ド・マルスの整備に当たった。その際に、国民的なダンスであるカルマニョールを輪になって踊ったり、シャンソン「サ・イラ」(うまく行くさ)を歌う人たちもいた。後に「貴族を街灯に吊るせ」と言う過激な歌詞になるが、ラドレが書いたものはそこまでは言っていない。

関連記事:《アンドレア・シェニエ》で使われています。

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コメント 3

euridice

こんにちは〜 
あちらの人々は強烈ですね。
かないません・・・
by euridice (2004-12-07 19:04) 

keyaki

えうりでぃちぇさん、コメントありがとう!

ライモンディが歌っている歌詞は、「貴族を街灯に吊るせ」って歌っているんでしょうか?
フランス語はわかりません。

ソニーのブログ、安定してないようですね。
by keyaki (2004-12-08 10:11) 

サイラ、サイラでトラックバックさせてください。
by (2006-04-30 21:59) 

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